ライフスタイル

1970年、僕が20歳のとき、サマー・スクールで英国に滞在しました。ホーム・ステイで英国の生活を体験しながら、昼は語学の研修を受けるというプログラムなのですが、まったく文化や価値観の違う日々の連続で、大きなカルチャー・ショックを受けました。ブラッドフォードという、リーズの近くにある羊毛の町で、英国の中でも、かなり保守的な地域だったように思います。地域にとって、初めて日本から学生を受け入れるということもあり、新聞やラジオから何度も取材を受け、番組にも出演しました。

到着後、まずシティー・メイヤー(行政上の市長ではなく、かつての領主というか、名誉市長のような存在)にご挨拶に伺ったのですが、最初に言われたのは「戦争で多数の英国人が日本人に殺害された。しかし、いま我々は大きな心でそれを許し、あなた達を暖かく受け入れるであろう」といった上から目線の内容でした。街で「自由を楽しんで!」なんて声を掛けられましたが、聞いてみると日本のことを共産国だと思っていたようです。

それまで海外で日本や日本人がどう見られているかなんて考えもしませんでした。日本製の電気製品や自動車が英国でも広く販売されていたにもかかわらず、英国の人々は、日本人が英国について知っていることの1%も日本について知らないというか、関心すらないという事実に愕然としました。

それはさておき、期間を通じ最も強く心に残ったのは、古い物を大切にするという考え方というか、文化でした。当時の日本は第二次高度成長期の真っ最中で、古いものを捨て、新しいものを買うことが生活向上の代名詞のように思われていた時代です。新しいものは必ず古いものより安くて良く出来ている、という考え方が日本人の意識に刷り込まれた時代でもありました。

僕が驚いたのはBBCのテレビ放送でした。夕方4時ごろに放送していた番組ですが、古い家具の修理方法を教える内容で、そのときは150年ほど前の小さな飾りテーブルでした。まず猫足をすべて外し、先が欠けている足を家具屋さんに持って行って同じものを作ってもらう。その間に紙やすりで古いニスを剥がし、木の表面を出す。脚の入る部分に出来た隙間を埋めるために木を薄く削って挟み込み接着する。家具屋さんで作ってもらった足を接着し、ニスを塗りなおす。こんな内容の30分番組でした。

僕は毎週、その番組を見ました。そのころのブラッドフォードではチャンネルが二つか三つしかなく、フルタイムの放送ではありませんでしたので、その時間は他に放送している番組がなかったのです。

毎週、その番組を見ていると、なんだか自分でも出来るような気になってきました。驚いたのは、交換が必要なパーツを「家具屋さんで作ってもらいます」のひと言で済ませていることでした。100年も200年も前の家具の一部を簡単に作ってもらえることにも驚きましたが、それなら簡単に同じ家具が作れるだろう、とも思いました。なぜ、そんな古い家具を修理するのか、なぜ、そんなことをわざわざテレビ番組にするのか、最初は理解できませんでした。テレビ番組を作って放送しているということは、反対に言えば、それだけ見る人も多いということですから。

近所に、古いクルマを自分で修理している人がいました。モーリス・マイナーでした。当時からクルマには強い関心を持っていましたので、ある日、声を掛けてみたところ、次の日曜日は仲間が来るから、お前も来るか、と誘ってくれました。

日曜日の朝、少し早起きして彼のガレージに伺うと、すでに何人かの仲間が集まって、そのクルマを修理していました。濃い紅茶と温かいミルクを半々で割った英国式ミルクティーを飲みながらワイワイと、時には議論もしながら楽しそうでした。そのクルマは仲間の共有物というわけではなく、誘ってくれた彼のクルマなのですが、みんな自分のクルマのようにセッセと、そして真剣に作業していました。

お昼時になると奥様がサンドイッチを作ってくれ、それを食べながら、あそこはこうしなければならない、いや、こういう方法もある、といったことを議論するのです。最初は、なぜ人のクルマに、こんなに真剣になれるのか、と思いましたが、そのうち、彼らは、それが楽しいのだということが分かってきました。加えて、一緒に作業することで強い仲間意識を持ったり、その結果として古いものを後世に残すということに喜びを覚えているのだということが少しずつですが、分かってきました。

最初はまったく付いていけなかった英国風ジョークも、強い訛りに慣れ、社会に対する理解が進むに従い、笑えるようになってきました。パイント・ペイント・ポイントなんて種類のジョークで、これは英国における地域意識を理解していなければ笑えません。英国は「ひとつの国」ではなく、あくまでも United Kingdom (連合王国)なのです。これに習ったのが米国で、米国だって United States です。ご興味のある方は調べてみてください。階級意識も強く、ジョン・レノンも、よく、この手のジョークを飛ばしていましたね。

彼は日産のブルーバードUも持っているのに、なぜこんな古いクルマを直すのか、と聞いたところ、「親父のクルマだった。息子に残してやる。」と言いました。その息子は、まだ3歳ぐらいでした。僕は3回、その集まりに参加し、フロント・サスペンションを組みました。翌年、彼から写真が届き、写真の裏には、Finally back on the road again! と書いてありました。見覚えのあるフィッシュ&チップス屋の駐車場で撮られたと思しき写真には、作業を手伝った3人と、彼の両親(おそらく)、そして彼の家族が写っていました。

ある日、セーターが買いたいと言うと、ホスト・ファーザーが彼の友人が経営している小さな羊毛工場へ連れて行ってくれました。当時のブラッドフォードには様々なスケールの羊毛工場があり、工場で働くパキスタニーの街がありました。

その友人は工場を案内しながら、羊毛の選別から始まる「良いウールとは」という長い、長い、長い話を延々と懇切丁寧に話してくれました。小さな工場でしたが、自分の会社で作っている毛糸やスーツ生地の品質に強烈なプライドを持っておられることに感動しました。当時の僕にはセーターや洋服を何十年も着るなんて発想はありませんでしたが、彼は良いウールは一生どころか、子供の代まで着れると言いました。私は彼の工場で作ったセーターを2枚買いましたが、確かに、45年経ったいまでも着られます。

私は何でも、出来る限り自分で修理して使います。子供が小さかったころ、何かが壊れると僕の机の上に置いてありました。夜の間に修理して置いておくと、翌日は、それが消えていました。家内はいまでも何かが壊れると、僕の机の上に置いていきます。その伝統(?)は、どうやら息子たちにも引き継がれたようです。パパの机は、おもちゃの病院、なのです。

食堂のテーブルは天板をムクのバーチとウォルナットの貼り合わせで作ってもらい、自分で足を組みました。厚さが45mmありますので、上面が荒れてきたら少し削り、10年に1回、1mm削ったとして100年で残りが35mm。それこそ曾孫の代まで使えます。掛かった費用は、わずか5万円ほどでした。

40平米ほどのウッド・デッキも10年以上経ったので、もう一度図面を引き直し、部材を発注し、全体の60%ほどの木を自分で入れ替えました。浄水器が壊れたときも、部品だけ入手して自分で修理しました。セーターだって、10年、20年、着ているものばかりです。良い毛糸で編んでおくと、痩せてきても余った毛糸と合わせて縒り直せば、また編み直せます。古い写真を見ると、同じセーターを着ています。

今年で66才。いまの僕は自分の気に入ったもの、慣れたもの、長く使っているものに囲まれて生活しています。僕にとって、それは、とても居心地の良いものです。いまになって、ようやく、なぜ英国人は古いものを大切にするのか、ということが、ほんの少し、理解できてきたのではないかと思います。

友人がくれたカードに書いてあった言葉が、いまも僕の原点です。

It isn’t good because it’s old.

It’s old because it’s good.

古いから良いのではない。

良いから古くなるまで使われるのだ。