職人さん

僕の認識(定義の意)では、職人さんとは、ひとつの作業、例えばモノを修理したり作ったり加工する業務に従事し、長年の経験を通じて会得した、常人では真似のできない卓越した感覚や技術を有する人のことです。対象が絵画や造形であれば、芸術家と呼ばれるのでしょう。

丸亀は日本のうちわの90%を生産しているそうです。江戸時代から丸亀うちわ、あるいは金毘羅さんのうちわとして知られてきましたが、最近では、丸亀で生産されるうちわの殆どは芯がプラスティックになってしまい、昔ながらの竹芯のうちわを作る職人さんは、もう数えるほどの人数になってしまったそうです。しかもご高齢です。その方たちが、伝統技術を継承するため、最近では小学生相手の講習会を開き、関心を持ってもらうことにも努めておられるということをテレビの番組で知りました。昔ながらの竹芯を使ったうちわは全体が均一にしなりますので、柔らかい風になります。プラスティック芯のうちわは最も強度的に弱い部分が鋭角的に曲がりますので、風が均一ではありません。あえて表現すれば、竹芯のうちわは「そよそよ」で、プラスティック芯は「ビュッ、ビュッ」でしょうか。その違いは両方のうちわで炭を熾してみれば分かります。プラスティック芯は手首が疲れます。それに加え、竹芯のうちわは、汚れたら、あるいは好みにより、紙を張り替えることもできます。意外と簡単です。竹芯は長持ちするのです。

自動車関連業界にも、いわゆる職人さんは多くいらっしゃいました。過去形で言うのは、いま、そういう職人さんたちが急速に姿を消しているからです。

たとえばラジエター屋さん。古いラジエターを分解し、アッパー・タンクとロアー・タンクを修理したり、場合によっては真鍮を叩いて新造し、新しいコアを溶接して「まったく同じ見た目」のままで蘇らせてくれます。かつてはラジエター屋さんと言えば、こういった作業が主体でした。しかし、いまでは既製品と交換したり、まったく異なる形状で取り付け寸法と容量だけが同じものしか作れません。古いクルマのボンネットを開けると、いまの形状でアルミのラジエターが付いているのでは、ちょっとガッカリしますね。僕の知り合いの職人さんが、まだ、ひとりだけ残っておられますが、彼のところまで、片道、ヘタをすれば2時間近く掛かってしまいます。

我々が言うところの、電気屋さん。古いスターターやオルタネーターを分解し、場合によってはコアを巻き直し、シャフトを削り出したり、ハード・クロームを掛けて原寸に戻し、再生してくれます。これも、僕の知り合いでは、一人しか残っていません。そもそも電気屋さんでコイルを巻く機械が残っているところなんて、ほとんどないんじゃないでしょうか。

加工屋さんも同じです。かつては弊社にも加工職人がいましたが、ビジネスと年齢の二つの理由で作業が継続できませんでした。若い人を入れ、いちから仕事を覚えさせるだけの経済的、時間的余裕がなく、それをしたところで利益が出ないからです。むかしながらに汎用旋盤で部品を1個だけ、それも1/100mm単位の精度で作ってくれる人は、僕の知り合いでは、一人だけです。最近では、かつては弊社の職人が2-3時間で作っていた単純な部品を、まずは旋盤屋さんに持っていき、それから穴開け屋さんに持っていき、さらにはフライス屋さんに持っていかなければなりません。時間も費用も、かつての何倍か掛かります。

ボルト屋さんも、最近では焼きの入ったボルトを2-3本、なんて言うと、ほとんどの場合、内容を聞く前に本数を言った時点で断られてしまいます。先日も知人の紹介で、無理やり、焼きの入ったハイテンション・ボルトを少量で作ってもらいましたが、バッタリ倒れるほどのお値段でした。言い換えれば、5本作っても、10本作っても、はたまた100本作っても、支払総額に大きな差はないのです。なぜならば、データを入力し、機械をセットすれば、あとは機械が作ってくれるからです。

先日、あるクルマのバック・ギアを作ってもらいました。もちろん、メーカーが治具で作るような精度ではありませんが、すり減ったり、ギアのカドが傷だらけになったギアを再使用するよりは遥かにマシです。ギア用の特殊な素材を京都の素材屋さんまで買いに行き、そこから削り出してもらい、次は焼き屋さんに持って行って焼き入れしてもらい、その後にギア屋さんに戻して、ケースに組み込んだ状態で相手のギアとの当たりを音や回る重さでチェックしながら何度か微調整し、最後に表面を研磨します。それを手作業でやっていただける方は、これも、お一人しか存じ上げません。

困るのがメッキ屋さん。かつては表面を研磨し、分厚い銅メッキを掛け、それを磨き出し、その上からクロームを掛ける、という作業ができましたが、最近では、僕の知る限り、昔のようなスムースな表面と深みのあるメッキは掛けられません。カドが丸くなってしまったり、歪があったり、下地の傷が見えてしまったり、こんなことなら再メッキなどしなければよかった、と思う状態で帰ってきます。色もかつての色ではありません。なんとなく青っぽい色だったりします。メッキの廃液に関する規制が厳しくなり、むかしながらの溶液や設備が使えなくなったことが大きな理由でしょう。新しい規制に合わせた設備を作っても、かつてのような品質は需要そのものがありません。そもそも、メッキ前に研磨してくれる上手な研磨/バフ掛け職人さんがいなくなってしまいました。メッキに関しては、残念ながら、すでに手遅れです。

僕が知っている、まだ残っている職人さんに共通するのは、全員が70歳代だということです。そして、跡継ぎがいないということも共通しています。跡継ぎがいないというのは、同じ職業を継承していても、同じ技術を継承する人がいないという意味です。いつもお願いしている旋盤屋さんも、大学で機械を専攻された立派な息子さんが使っているのは数値コントロールの機械で、同じものを、少なくとも何十個という単位で作っておられます。

職人さんがいなくなる理由は単純です。そういった卓越した技術が必要な仕事がなくなったこと、あるいは、時間を掛けて作業しても正当な対価がいただけないことです。長期間にわたり修行しても「食べていけない」ため、誰もやろうとしません。いや、いくら好きでも、経済的に「できない」のです。

実は我々の業界、板金でもメカでも、そして塗装でも同じことが言えます。そういった「時間の掛かる作業」をしたのでは、食べていけません。たとえば、古い車で電気系のトラブルが出て、丸1日掛けて原因を特定し、配線を1本交換したり、150円のコネクターを1個交換したとします。それでも1日分の工賃を請求しなくてはなりませんが、お支払いになられるお客様は、どう感じられるでしょうか。しかも、古い車ですから、翌日に、また違うところで電気系のトラブルが発生することも珍しくありません。

先週も、マスター・シリンダーを押すプッシュ・ロッドが付いている、「クラッチ・レバーに溶接されたピン」が長年の使用で削れてしまい、オリジナルの1/3以下にまで細くなっているのを発見しました。いつ折れても不思議はない状態で、最悪の場合、事故に直結します。旋盤屋さんでピンをつくってもらい、穴をあけ、ピンを溶接し、クルマに装着したところ、微妙な位置や角度の違いでクラッチ・ペダルが重くなり、再び外して加工し、ということを何度も繰り返しました。そのたびに往復で2時間ほど掛けて加工屋さんまで行かなくてはなりません。目視では分からない程度の微妙な誤差ですし、場所が場所だけに、装着した状態でマイクロ・ゲージを突っ込んで精密計測する、なんてことができないからです。結局、我々のような町工場ではカット・アンド・トライしか方法がありません。何度も加工屋さんに行く時間、その間、作業が止まってしまう、そういった時間に対し、いったい、いくら請求するのが正当なのでしょう。ビジネスとしては、こんな仕事は「請けてはいけない」のです。

最近では、部品を修理しなくてはならない作業自体を請けていただけるところが少なくなってしまいました。理由は簡単です。部品交換なら、何か不具合が起こったときに部品を製造したメーカーに責任が問えます。ところが、部品を修理したのでは、自分たちが責任を取らなくてはならないからです。そもそも作業に時間が掛かり、新品ではありませんので、100%の確信が持てないというか保証などできません。そのリスクや非効率性を考えれば、請けないほうがビジネスとしては得策です。実際には、単に技術だけの問題でもないのです。

板金作業でも塗装作業でも同じですが、こういった職人仕事は技術だけでなく、ノウハウの塊とも言えます。単に教えてもらったからできる、というものでもありません。実際に自分がやってみて、失敗して、考えて、またやってみて、失敗して、の繰り返しの中からノウハウが蓄積されていきます。言い換えれば、ノウハウの蓄積には時間が掛かるということです。板金で言えば、どの部分を、どういうやりかたでやると、10年後にどうなる、という判断は、教えてもらってもできません。それは28年前、何度も何度も英国やイタリアでレストア作業を見て勉強し、分かったつもりになっていても、実際には何も分かっていなかったということを繰り返し痛感した経験から学びました。結局は、自分でやって失敗し、そこから学ぶしか方法はないのです。卓越した職人さんの感性や技術は、失敗の積み重ねでしか得られないのです。

いまやっている仕事が今まで通りの方法で出来なくなるのも、もう目の前かもしれません。現在、70歳代の職人さんがいなくなれば、どうすれば同じ内容、あるいは同じ品質の作業ができるのかを考えなくてはなりません。ちょっとした作業のために、まだそういった技術やノウハウが生き残っている国に送らなくてはならないのかもしれません。欧米でも数は減りましたが、まだ要所要所の作業が行える職人さんがいます。昔ながらの加工をしてくれるショップも残っています。そういうところでは何十年前の古い設備も、そのまま残っています。羨ましいのは、それだけでなく、若い人が育っていることです。なぜなら、「食べられる」からです。全体に数が減れば、一人あたりだと「それなり」の仕事量もあり、生活していけるだけの対価も得られます。同業者が10人いると食べていけなくても、3人なら食べていけるという理論ですが、日本の場合は継承者がいませんので、いきなりゼロになってしまいます。

昔は良い職人さんがいましたけどね、なんてことをおっしゃる方に申し上げたい。そんなに職人さんがいなくなったことを残念がるのなら、なぜ、その職人さんがいるうちに仕事をさせてあげなかったのですか?なぜ、竹芯のうちわを買われないのですか?