電気自動車

近所の方がN社の電気自動車を購入された。音もなく近づいてきたのにビックリ。轢かれるかと思った。

それにしても、昨今は電気自動車やハイブリッドが「普通」になってきた。電気自動車というと、なんとなく「新しい」という感覚があるが、実は、電気自動車の歴史はガソリン車より古い、ということを、知識としては知っていたが、ちょっと気になって調べてみた。

蒸気機関そのものは1708年に発明されていたが、それが実用化されたのは1760年代になってからだった。世界初の自動車(とされる機械)はフランスで1769年に、それまでの馬に代わり、大砲を動かすために作られた蒸気機関の三輪車だった。前部に大きな釜を持ち、石炭を焚いて蒸気を発生させた。


蒸気自動車が最初に実用化されたのは英国だった。ガーニーとハンコックが開発したバスで、1827年に定期運行を始めた。しかし、騒音と煤煙がひどく、乗客を取られた馬車業者からの圧力もあり、1865年には蒸気自動車が路上を走ることを禁止されてしまう。とは言うものの、考えてみれば馬糞と煤煙と、どちらが本当に「より不評」だったのだろう。何年か前に英国の田舎へ用事があって行ったが、朝早いと路上に馬糞がいっぱい落ちており、タイヤが馬糞だらけになった。レンタカーだったから、それほど頭にもこなかったが、聞くと、ハイソな皆様が早朝に馬で散歩(?)しておられるそうだ。どうやら英国の方は馬糞には寛容のようだ。僕なら、自宅の前の道に馬糞が山ほど落ちていれば、すぐさま市役所に電話する。それはともかくも、これが英国における蒸気自動車の開発を大きく遅らせた。しかし米国では乗用車として開発と普及が進み、1890年代末には自動車メーカーが乱立し、年間販売台数も1,000台を超えた。

蒸気自動車に次いで開発されたのが電気自動車だった。1800年にボルタが電池を発明し、1834年には米国のダヴェンポートが実用的な直流モーターを開発した。彼は必死になってモーターを様々な業界に売り込もうとしたが、彼のモーターはまだまだ効率が悪く、すぐに電池がなくなってしまうことから一向に普及せず、彼の会社は敢え無く倒産してしまった。早すぎたと言うべきか、周囲の技術がついてこなかったということだろう。

電気自動車の開発が実用化に向けて大きく進んだのは1859年にフランスで充電可能な電池(二次電池)が発明されてからだ。世界で最初に電池(一次電池)を量産化したのもフランスだったし、この年代のフランスは最先進技術王国だった。しかし、当時の電池は重すぎて、しかもモーターのトルクが小さかったため、電気自動車の実用化にはさらに30年以上の時間を要した。

Ayrton-Perry electric max

世界初の電気自動車と呼べる車両は1881年にフランスのトルーベが開発した 3 輪車だと思われるが、これはいわゆるショー・モデルであり、翌年の1882年には英国のアイルトンとペリーが実用になるレベルの電気自動車を開発している。構成要素となる技術が出揃い、誰かが壁を打ち破ると、そこから先は開発のペースが一気に早くなるのは技術の常だ。1898年のロンドンでは75台の電気自動車がタクシーとして走っており、1899年、史上初めて時速100キロの壁を越えたのは電気自動車だった。ちなみに、史上初めて時速200kmを超えた Stanley Rocket は蒸気自動車だった。

車体は砲弾型だが、ドライバーの空気抵抗は考えなかったのだろうか?

1906 Stanley Rocket

自転車のような細いタイヤは、おそらくは空気抵抗を

減らすためであったと思われるが、それにしても、

このクルマで200kmとは、まさに命知らずであった。

米国でも電気自動車の開発は進み、1899年の米国には100社以上の自動車メーカーが乱立していた。いま中国には200社以上の電気自動車メーカー(?)があると言われるが、規制の緩い状況だからこそ起こり得ることだ。米国における1899年の年間販売台数は蒸気自動車が1,681台、電気自動車が1,575台、ガソリン車は936台という記録が残っている。1900年にはニューヨークで走る100台ほどのタクシーはすべて電気自動車であり、1912年には全米で3万台以上の電気自動車が登録されていた。日本でも第二次世界大戦前に中島製作所と湯浅電池が電気自動車を生産しており、一説では1,500台生産したと言われている。戦後はガソリンが統制品だったことから東京電気自動車が「たま号」を開発、1950年までにトラックも含めると3,000台以上を販売し、日本電装もデンソー号を50台生産したと言われている。

ガソリン自動車が開発されたのは1885年。メルセデスがエンジンを作り、ベンツが、そのエンジンを積んだ3輪車を開発した。そして1908年にフォードがモデルTを発売したことで、蒸気自動車と電気自動車は世界中の市場から駆逐されてしまった。以降の歴史が、僕などが頭に描く「自動車の歴史」だが、調べてみると蒸気自動車や電気自動車の歴史もなかなか面白い。

人間には、だれしも競争本能がある。自動車が普及するに従い、速さを競いたいという人が現れるのは自然な流れだろう。黎明期のレースはレースと言うより、好きな人が集まって走る「走行会」程度のものだったようだ。マトモな記録が残っている最も古いレースは1894年に行われたParis-Rouen Trial で出場者は全員フランス人、優勝賞金は5000フランだった。当時は金本位制で1フランは0.32g。グラム4,500円とすれば1フランは1,440円。したがって、5,000フランはいまの価値で720万円程度か。新聞社 ( Le Petit Journal )の編集長 Pierre Giffard が自転車レースにヒントを得て開催したが、当時、普及し始めていたガソリン・エンジン車を広報することが目的だった。102人が申し込み、50キロの予選を経て、21人が本レースで126キロを競った。

ところが、困ったことに本レース出場者で最も早かったのは1880年製の蒸気自動車だった。平均時速は約19キロ。困った主催者は、蒸気自動車には運転者以外に釜焚き(石炭を投入する人間)が同乗していることを理由に失格とし、賞金はガソリン車で最も速かったプジョーに与えられた。それにしても、時速19キロでは当時普及していた自転車レースよりも遅く、見ていて盛り上がらなかっただけでなく、ドライヴァーにとっても時速19キロで126キロを走るというのは、まさに忍耐に次ぐ忍耐だっただろう。降りてトイレに行っても、自転車で追いかければ、すぐに追いつきそうだ。

1900年からは国際レース(Gordon Bennett Cup)が開催され、出場車両はナショナル・カラーを身にまとい、国の威信を掛けたレースが繰り広げられた。欧州では、こういった自動車レースの歴史が100年以上あり、国民の認知度も関心も高い。彼我の差は歴然だ。日本では公道を閉めることも出来ず、マトモなラリーもできない。

しかし、もう蒸気機関には未来はないのだろうか?最近は、もうこれ以上の進歩はないと思っていた分野で画期的な技術が開発されることがある。蛇口をひねって水を入れるだけで走る自動車が出来れば、これほどエコで自然に優しいクルマもない。水を瞬時に水蒸気にする効率の良い熱源が開発できないものだろうか。