枝払い

先日、我が家の木の枝払いをしました。いつの間にか伸びているものです。

我が家の裏には隣地との境界線まで2m弱の隙間があり、そこに大きな木が3本あります。イチョウと槙と名前を知らない木です。いずれも、カミサンが生まれる前からあったそうですので、少なくとも我々の年齢(66歳)より樹齢が長い。槇の木は成長が遅いので、おそらく100年ぐらい経っているのではないでしょうか。そのうちの2本の木の枝が伸びて屋根の「とゆ」に当たり、風の強い日には「ギーコ、ギーコ」と船の櫓を漕ぐような音がするようになりました。

梯子で登り、そこから太い枝に移って、鋸で引いて屋根に当たっている枝と隣地に越境している枝を払いました。

しかし、イチョウの木だけは前に隣地の方よりお申し越しがあり、低いところからバッサリ切ってありました。

数年前に隣家の方が土地/建物を売却され、新しい方が他市より越してこられました。少ししたら新しい隣地の方からお申し越しがあり、イチョウの枝が屋根に当たっているので、枝を払って欲しい、ということでした。見ると、確かに細い枝が何本か隣家の屋根に「少し」当たっていました。すぐに当たっている枝を払いました。枝は隣家の屋根に当たらなくなりました。

しばらくすると、今度は銀杏が隣地の地面に落ちて臭いので上のほうを切って欲しいというお申し越しをいただきました。以前の隣人は、毎年、銀杏ができるのを楽しみにしておられ、ご一緒に銀杏を拾ったものですが、なかには銀杏がお嫌いな方もおられるのかと思い、屋根より少し低いところで切りました。銀杏は隣地に落ちなくなりました。

また、しばらくすると、こんどはイチョウの枯葉が隣地の敷地内に落ちてキタナイので、イチョウの木を取り除いて欲しいというお申し越しをいただきました。正直、残念というか、なんとなく寂しい気持ちでした。人を頼み、僕の身長ほどのところで切ってもらい、枝と葉はなくなりました。先日見ますと、切り口部分から細い枝が出ていました。

僕の住んでいる市には街路樹でイチョウを植えているところがあります。自宅の玄関前に銀杏が落ちて臭ったり、葉っぱが自宅敷地内に落ちてきたら、市に「切ってくれ」と言えるのでしょうかね。というか、法的に言えるか言えないかなんてことより、そんなことを言い出せば、イチョウに限らず、街路樹なんて植えられないんじゃないでしょうか。裏山からの杉花粉が激しいから、裏山の杉をすべて伐採してくれ、っていうのと似たようなことでは? なんて気もするのですよ。

そもそも、我が市は国際文化住宅都市を標榜し、憲章の中でも「自然の風物を愛し、まちを緑と花でつつみましょう」と謳っています。おまけに我が家は風致地区です。家を建築する際に市からいただくパンフレットでも、道路から見える部分や隣地との間に植樹することを強く推奨しています。加えて、地区によっては自然の木竹を伐採するには申請して許可を受けなくてはならなかったり、建物以外の広いスペースには「何平米に何本」なんて植樹の義務があったりします。

まあ、そんなことを行政が指導するまでもなく、何十年も前からある樹木や緑を大切にすることぐらい、言わずもがなのような気がするのですが。それでも、切ってくれと言われれば、切らなくてはならないのが今の世の中です。隣人が何か間違ったことを言われたわけではありません。感覚の違いというか、そういう「時代」なのです。

子供たちがまだ小学生低学年だった頃、子供たちに公園の木で木登りとセミ取りを教えていましたら、近所の方から「うちの子が真似したら危ないので、やめてくれ」という、お叱りのお電話を頂戴しました。僕なんて、子供の頃には何度も木から落ちて痛い目をしましたので、いまでも枝を払うのに、梯子を掛けて、あとはスルスルと木に登り、太い枝に足を絡めて鋸で枝が払えます。要するに、木登りに恐怖感がなく、要領を心得ているのですよ。

なーんだか、セチガライというか、気持ちに余裕がないというか、枯葉を集めて焼き芋なんて時代じゃなくなったのですね。銀杏を焼いて食べるより、落ち葉を掃除するのがメンドークサイ時代なのですね。

そういえば、イチョウの木を切ってくれとお申し越しになられた隣家の南側に昔からの竹薮(我が家とも隣接しています)が残っています。所有者が普段からセッセと手入れをしておられ、お互いに先代からのお付き合いですので、毎年、春になると掘りたての筍を下さります。一昨年は掘るのが遅かったのか、少し硬くてエグかったのですが、昨年と今年は柔らかくて美味しかった。春には木の芽和えと、生わかめを使った若竹煮を食べないと春になった気がしません。秋になると所有者が落ちた笹の葉と間引きした竹を焼いて肥料にされますが、この数年は近隣の方で「煙がケムタイ」と、毎回、警察と消防に電話される方がおられるそうです。事前に消防には連絡してあるそうですが、それでも住民から電話があれば見に来なくてはなりません。ご苦労様なことです。

我が家の反対側にあるビワの木は隣人からの評判も良く、毎年、一緒にビワを収穫します。結構な数が成ります。シロップ漬けにしておくとオイシイ。隣人は、そのためにわざわざ背の高い梯子を購入してくださり、我が家の隅っこに置いてあります。ビワの葉をお風呂に入れると肌がツルツルになるのだそうです。乾燥させて粉にして飲むと体に良いという話を聞いたことがあります。しかし、この何年かはビワが熟してきますとカラスが集まります。カラスはよく分かっており、熟していない実は突きませんが、熟した実は突きます。したがって、実が熟す少し前に収穫しなければなりません。ビワがそろそろ熟してきた、ある日の夕方、娘が歩いて帰ってきたときに、ふと我が家を見ると、屋根の上に10羽以上、電線にも5-6羽、空にも10羽近くのカラスが飛んでおり、ヒッチコックの「鳥」そのままの光景だったそうです。

庭にあるイチジクにはネットを掛けました。みかんとキンカン、そしてブルー・ベリーも良く成ります。そういえば、昔は取り放題だった芦屋川のクレソンが、最近はなくなったらしい。誰かが根こそぎ持っていったのだろうか。一昨年までは、毎年、風の通り道なのか我が家の庭に赤とんぼの大群が北向きに並んで飛んでいましたが、昨年は見かけた記憶がありません。

町が都市化し、敷地が細分化すると、それまでの光景も環境も一変します。正しい、正しくないということではありませんが、様々なお考えの方も増えます。それは仕方のないことではありますが、むかしは良かった、昭和は遠くなりにけり、なんて言うと、若い人に鼻でせせら笑われそうですね。少し前に、「いっそ、田舎へでも引っ越すか」って言いましたら、カミサンが「月に一度ぐらい見に行くわ」って言いよりました。