うしろ姿

片側3車線とか4車線の道を走りますと、前を走っているクルマのうしろ姿ばかり見ることになります。数日前に、まだまだレアな某高額日本車の斜め後ろに付きました。実物を見るのは初めてでしたが、直感的に「ブサイク」だと感じました。デザインなどというものは、きわめて個人的な感覚の世界ですので、僕以外の方は全員「カッコイイ」と思われるのかもしれませんが、少なくとも僕には、これがグッド・デザイン金賞だということが信じられません。バンパーの下に付いている逆三角形の反射板のようなものも、まるで尻尾を上に巻いている犬を後ろから見たようです。(お下劣失敬!)

クルマのカタログ表紙には、殆どの場合、前斜めや正面など、「前」の写真が使われます。前だけ見ると、最近は日本車にも「それなり」の個性が見られるようになってきたと感じますが、いまだに「うしろ姿」でカッコイイと思う車は少数です。個人的には、まったくもって個性が感じられないのです。

特に、リア・クォーター(うしろ斜め)から見るとガッカリする車が多いと感じます。側面と後面の印象に統一性が感じられず、少なからずデザインとして破綻している部分があるように感じてしまうのです。

加えて残念に思うのが内装のデザインです。運転しているときに外観のデザインは見えません。見えるのはダッシュ周りのデザインぐらいです。ところが、特に日本車ですが、外観は結構面白いデザインなのに、内装を見るとダサイというか、個性がないというか、他車との違いすら感じられないクルマが大多数です。しかも、それが「安いっぽい高級仕様」だったりすると最悪で、100年どころか1万年の恋も冷めてしまいます。

前に某巨大国産車メーカーのデザイン室に勤務しておられる方に、僕が個人的に感じていることをぶつけてみたことがあります。彼の答えは明確でした。それは「分業」のなせる業だと断言されました。現在のように、お尻が切られた開発期間のなかで作業するには、避けられないことなのだそうです。

そのときの僕の理解では、以下のようなプロセスで進むようです。

最初に何人かのデザイナーが作ったイメージ・スケッチを比較・検討し、そのなかからひとつを選び、それを何人かでリファインする。それが了承されると、今度は部分ごとにいくつかのチームに分かれて現実的なデザインに落とし込み、生産上の都合(パネル割りやプレス等)、そして部品の配置などを加味しながら、何度となく会議を重ねながら具体化していく。

各チームをまとめる責任者が各チームの顔を立ててしまうと出来上がるものは悲惨です。責任者に強力な発言力と権限が与えられていれば、「ダメ、全部やり直し」と言えるのですが、現実には難しいように思います。同じコンセプトでも、人によって理解は異なります。また、それを具体化する過程でも少しずつ変わっていきます。そして、最終的なデザインが決定されるまでの間に各チーム間で数多くの小さな妥協が繰り返されていくため、結果として、どこかに「しわ寄せ」というか、「つじつま合わせ」ができてしまう。それが「うしろ姿」に出てしまうのではないかと勝手に解釈しています。

僕はランチアの初代イプシロンのデザインが好きで、動きませんが、いまでも所有しています。いつかは復活させたい。イプシロンは内装まで含め、どこから見てもデザインに統一感があり、始めてイタリアで見たときは、まるでスケッチ・ブックのデザインが、そのまま形になったように感じました。チーフ・デザイナーはエンリコ・フミヤ氏です。彼はピニン出身で、アルファのスパイダーとGTV(いずれも先代)のデザイナーとしても知られています。彼が来日したとき、あるクルマのデザイン・コンセプトをプレゼンテーションする通訳をさせていただいたことがあります。1/8程度のモックアップも持ってきておられ、個人的にはカッコイイと思いましたが、どこにも採用されませんでした。

食事しながら彼に、なぜイプシロンは、あのようなデザインが可能だったのか、と伺いました。彼は笑いながら、フィアットのお偉方は誰もあの車に関心が無かったからだよ、と答えました。つまり、それほど数が売れるとも思わなかったため、小さなデザイン・チームで、外から干渉されることもなく、自分たちが思う通りにデザインできた、ということでしょう。ところが、初代イプシロンはバカ売れしました。一時期はランチアのマーケット・シェアがアルファを追い越したほどです。僕が知る限り、ランチアがアルファを追い越したのは、このときだけです。イプシロンの大ヒットに慌てたフィアットは、プントのラインをひとつ潰して大増産し、イタリアの街中にはイプシロンが溢れました。イプシロンの大ヒットは、日本のメーカーも含め、小型車のパッケージングに大きな影響を与えたのではないでしょうか。

イプシロンの大ヒットに気を良くしたフィアットのお偉方は、彼にランチア・リブラのデザインを指示しました。しかし、二匹目のどじょうを期待したフィアットは設計期間を短縮するためデザイン・チームの人員を増やし、売りたいという気持ちが前面に出たのでしょう、様々な要求をするようになりました。リブラは中途半端なデザインになり、セールスもサッパリ。フミヤ氏はランチアを去りました。

個人的に、イプシロンは「小さな高級車」だと認識しています。最近は「高額車」や「豪華車」は多いのですが、「高級車」が少なくなってきたように思います。「高級」とは精神的なもので、その発想やコンセプトに現れるものだと考えています。プントと同じシャーシを使った車ですが、まるで異なるコンセプトのクルマに仕上がっています。「ゆとり」を感じるというのでしょうか。かつてランチア車は「目利きの選択」あるいは「イタリアの小さな宝石」と賞されました。イプシロンには、過去のランチアに対するプライドと親会社であるフィアットに対する意地を見たような気がします。

1950年代から1960年代のイタリア車には面白いデザインの車が数多くあります。まだカロッツエリアが車を作っていた時代です。メーカーからベア・シャーシが運び込まれ、カロッツエリアでボディを架装するという方法で多くのクルマが生産されました。これらのカロッツエリアでは、わずか数人のデザイナーが、それこそ自分たちでクレイを削りながらデザインしたそうです。言い換えれば、一人の天才デザイナーが書いたスケッチが、ほぼそのまま車になった時代ともいえます。こういった車は単なる機械ではなく、ある種、「走る芸術作品」のようなものです。欧米の「目利き」が、こういった車に多額のコストを投じてレストアするのも、これらの車を単に「移動のための道具」としては見ていないということなのでしょう。日本人には無い感覚です。

欧米のメーカーからは、稀に異端児のような車が登場します。ルノーのアヴァンタイムは、特にうしろ姿がカッコ良かった。フィアットの初代ムルチプラもいい。これらのデザインは、それまでの、どのクルマとも似ていないだけでなく、時間が経過しても飽きません。王道のデザインならアウディのTT。フェアレディーZと似通った商品コンセプトですが、TTのほうがカッコイイ。日本車では、短命に終わったものの、スバルのR-1は気に入っていました。うちの近所に1台います。ホンダのCR-Zもフロント・クォーターとリア・クォーターのイメージに統一感があり、好ましいと感じます。

流れの中で前の車のうしろ姿ばかり見ていると、バッジを隠せば、どこのクルマか分からない。前のイメージと後ろのイメージが違いすぎる。側面を見るとガッカリする。そんなクルマが増えたような気がします。

いちど前を走っているクルマのうしろ姿をじっくり観察してみてください。

かつて象印にコラーニ・デザインの炊飯器があり、我が家でも使っていました。当時の炊飯器の中では、群を抜いてカッコ良かったからです。なぜか短期間で廃版になり、壊れたときは全国を探し回り、九州で見つけて同じものを買いました。別段、他のデザインのものに比べてゴハンが美味しく炊けるわけでもなかったのですが。

いまのクルマは、日常的にスポーツ・ドライビングを楽しまれるのでさえなければ、性能的にはどこのクルマを買っても、その差が日常生活に及ぼす影響なんて無視できるほどです。燃費に差があると言っても、せいぜい月に缶コーヒー1本か2本ぶんです。それなら、自分がカッコイイと思うクルマを買うのも選択肢としては大いにアリ、だと思うのです。とかく日本人には自動車の世界でも、性能に対してお金を払うという感覚が大勢のようですが、自分が好きなデザインに対してお金を払うという感覚が、もっと増えても良いのではないでしょうか。

モノは「良い・悪い」で選ぶより、「好き・嫌い」で選んだ方が飽きが来ないと思いますし、結果として、長く使えるのではないでしょうか。