ダッヅ ルートビア

僕はダッヅのルートビアが好きです。

ルートビアは米国発祥の清涼炭酸飲料で、木の根っこから抽出されるため、この名前が付いたそうです。もちろん、アルコールは入っていません。

僕がルートビアを好きなのには、長い歴史の背景があります。

父は、僕が生まれる前は神戸の元町という地域に住んでいました。いまでも僕の本籍は元町にあります。父は僕が生まれる直前に引っ越しましたが、元町には父の友人が多く住んでいました。そのため、父はよく三宮や元町に出かけましたが、たまに僕を連れて行ってくれました。

幼稚園のころ、神戸に行った時の楽しみは、まず、元町のコーヒー・ショップで食べるプリン。そして、三宮駅の北側にあった、戦後の闇市の生き残りのような商店で米国製の風船ガムを買ってもらうことでした。たまには父の友人(ジューイッシュ)が、イタリア人の経営するイタリア料理屋さんにピザやスパゲッティを食べに連れて行ってくれました。長じてからは、その方とお会いすることもありませんでしたが、僕が38歳のころ、あるスイス人を介して、その方の奥様と再会し、お互いにビックリしたことがあります。世の中、というか、神戸は狭い。

その風船ガムがルートビア味でした。ピンク色の四角いガムで、蝋紙のような紙で包まれ、その紙にはひとコマ漫画が印刷されていました。また、宝塚にあった清涼飲料会社(ウィルキンソンのジンジャーエールも作っていました)が、おそらく始まりは進駐軍に対する供給だったのでしょう、瓶に入ったルートビアを販売しており、たまに買ってもらって飲みました。僕が生まれたのは1950年。まだ日本は独立しておらず Occupied Japan でした。進駐軍の大半は米軍でしたので、当然ながら、進駐軍の横流しも含め、米国の商品が神戸の町に溢れていました。

進駐軍がいなくなってから、しばらくしてルートビアは見かけなくなりました。日本人には馴染めない味だったのでしょう。いまでも殆どの日本人はルートビアをマズイ、クサイ、と言います。確かに、日本で一般的に飲まれる飲料水とは根本的に異なる味と香りです。あえて言えば、ドクター・ペッパーとかチェリー・コーク寄りでしょうか。

そのまま15年ほど忘れていましたが、学生時代に米国のマサチューセッツ州へサマー・スクールで行ったときに、スーパーでダッヅを発見。懐かしくて毎日、飲んでいました。

そして、そのまま、また5年ほど経過し、僕は就職して東京に引っ越しました。家内と麻布インターナショナルというスーパーで買い物していて、ダッヅを発見。むかし懐かしい瓶入りでした。その瓶は、長年使われてきたからでしょう、外側がスリガラスのように曇っていました。嬉しくなった僕は、「ケース買い」しました。家内は嫌いましたが、長男はオイシイと言って飲んでいました。しかし、それも長くは続かず、やがて店頭から消えていきました。

そして更に10年ほど経過し、僕は脱サラして神戸に帰ってきました。

神戸にある外国人向けスーパーで家内と買い物をしていると、店内にダッヅが山積みされているのを発見しました。しかも、ビックリするほど安い。おそらく売れていなかったのでしょう。それから長い期間、ダッヅは安定して入手できるようになりました。

長男は、僕と同じで物心ついたころからダッヅを飲んでいました。彼は中学生のころ、カリフォルニア大学へ語学研修にいきましたが、同じクラスの日本人学生が集まったとき、何かの「罰ゲーム」としてルートビアを1本まるごと飲むというのがあったそうです。好物ですので、普通に1本飲み干して「オイシイ」と言ったら、変人扱いされたそうです。子供のころに身に着いた味覚とは恐ろしいものです。「母の味」も同じなのでしょうね。

何年か前に、そのスーパーが閉店しました。ダッヅが買えなくなった僕は、ネットで探して購入していました。最も頻繁に購入したのが、全国のカルディコーヒーファームでした。ところが、昨年の夏過ぎだったと思います。カルディだけでなく、全国の、どこを探しても入手できなくなってしまいました。あるのは A & W だけです。しかし、僕は A & W は好みません。ついでに、コーラもコカコーラよりペプシが好きです。

僕は過去に購入したことのある全国のカルディに電話して、是非とも扱いを再開してほしい、と懇願しました。

それから半年。岐阜に住んでいる息子から電話がかかってきました。岐阜のカルディにダッヅがあったので買った、という「嬉しいお知らせ」でした。すぐにカルディのお客様センターに電話して確認したところ、再入荷した、という返答でした。また同時に、缶に貼られていたシールに記載されていた某輸入商社にも電話しました。担当者は「カルディからリクエストがあった」ということでしたので、僕は「やったね」と思いましたが、同時に、どれぐらいの量を輸入したのか聞きました。40 FT コンテナの半分、ということでしたので、清涼飲料水としては、それほど多い量ではありません。すぐにカルディに電話して発注、今回は「大量ストック」しました。ついでに、その商社の担当者に、ミント・ソース(ラムに掛けるとオイシイ)とカクテル・ソース、そしてブラッド・オレンジのピール入りマーマレードをリクエストしておきました。

先日、長男の家に用事があって行きました。キッチン裏のストック・スペースを覗くと、そこには大量のダッヅがストックされていました。

そうそう、無くなったと言えば、最近、僕が好きな文明堂のかりんとうが姿を消しました。文明堂のかりんとうには2種類あり、僕が好きな方のかりんとうを見かけなくなったのです。慌てて近隣のスーパーやネットで探しましたが、三重県の某スーパーで7袋残っているだけでした。電話して「送って欲しい」とお願いしましたが、通販はやっていないと断られました。かりんとうのために三重県まで行くのもねえ、と思った僕は文明堂に電話しました。すでに廃版になり、いまのところ再発売の予定はないと言われました。残した方を勧められましたが、消えたほうと、残ったほうでは、味や食感に天地の差があります。複雑な製造方法でもないのでと思い、入手可能なかりんとうをいろいろ買ってみましたが、いまのとろこ同じものは見つかっていません。ぜひとも再発売してほしい! 広い日本には、無くなったことを残念に思っている人は多い!……….と信じたい。

ほかにも入手できなくなり残念に思っているものがあります。それはキャンベルのビーフ・ベジタブル・スープです。米国では販売していますが、日本では狂牛病の騒ぎがあったころにカタログ落ちし、今日に至るまで再発売されていません。ビーフの入ったスープがすべてカタログ落ちしましたので、使っているビーフの原材料が日本の規制に合わないのでしょうか。それとも単に日本では人気がないからでしょうか。夜中にちょっとコバラが空いたときなど重宝していただけに残念。クリーム・マッシュルーム・スープはキャンベルの傑作スープのひとつだと思いますが、昨年の一時期、日本ではカタログ落ちしました。わざわざ沖縄から送ってもらいましたが、最近、嬉しいことに復活しました。日本キャンベルは、なぜか沖縄では、より多種類の製品を発売しているのです。そう言えば、かつてキャンベルには小さなアルファベットのパスタが入ったスープがあり、それをAからZまでお皿に出して順番に並べるのが楽しみでした。なかなか全部揃わないのですよ。米国内では、チキン、ベジタブルともに、まだ販売しているようです。キャンベル製ですが、カークランド・ブランドで出ているトマト・バジル・ビスクも気に入っており、かつてはコストコで買えましたが、久しく入荷していないようです。ちょっとクセがあり、好き嫌いが分かれそうな味ですが、キャンベル・ブランドで出ているトマト・スープより濃く、いかにも「トマト」という感じです。

デルモンテのスイート・ピクルスはパリパリ、カリカリして好きでしたが、日本ではずいぶん前に扱いがなくなってしまいました。しかたがないのでSOのスイート・ピクルスを買ってますが、ちょっと違う。カレーを食べるときは、僕はスイート・ピクスルなのです。デルモンテのスイート・ピクルスは食べ終わって残ったビネガーにキャベツを漬けておくと美味しかった。

マクドナルドに、かつてハワイアン・バーガーなるものがありました。ビーフ・パテのうえにスライスしたパイナップルが乗っているという単純なもので、なぜ、これがハワイアンなのか? とは言え、発売されたときは毎日のように食べていましたが、短命でした。ほぼ同時期に発売された月見バーガーが、いまだに販売されているのに。ハワイアン・バーガーは余程人気がなかったということなんでしょう。子供のころ、パインの缶詰は特別な日にしか食べられませんでした。そのためでしょう、パイナップルには思い入れがあります。酢豚にパイナップルが入っていると、ちょっぴり嬉しい。

飲み物ではJTのドトール・ココア。甘すぎず、トロっとして濃く、冷蔵庫で冷やして飲むと美味しかった。暖めて飲むとイマイチだったのが落とし穴。190mlの小さな缶でしたが、確かに、それが適量でした。

Oranfrizer のシチリア産オレンジ100%のジュースも美味しかった。何よりも香りも良く、ピールも入っているのか、少し苦味もあり、甘くないところが気に入っていました。まさに、大人の味。コップに注ぐと、下に浮遊物があるのがイタリアチック。100%のジュースなんだから、それぐらい入ってるでしょうよ、ってことでしょうね。イタメシのときなど、カンパリを入れて飲むとピッタリ。カンパリ・オレンジは日本の普通のオレンジ・ジュースを使うと実にマズイ。とあるケーキ屋さんにお教えいたしましたら感動され、ナイショですが、夏になると、これを「そのまま」ゼリーにして販売しておられました。かなり人気があったそうです。数年前まではオレンジとブラッド・オレンジの2種類が輸入されていましたが、現在はブラッド・オレンジのみが輸入されているようです。ブラッド・オレンジも悪くは無いのですが。。。。。

フィリピンのドリンクも好きでした。ブランドは覚えていませんが、かつて神戸にあった外国人向けのスーパーで買えたマンゴー・ネクターとカラマンシー・ジュースはお気に入りでした。ある日突然店頭から姿を消しましたので聞きましたら、なにやら品質上の問題があって、全量廃棄されたそうです。それ以降は違うブランドのものが輸入されましたが、味が「もうひとつ」で、買わなくなりました。カラマンシー(calamansi)はフィリピン・レモンと言われますが、むしろライムに近く、香りが良く、味にほのかな甘さがあります。ビーチで飲む、カラマンシー・アイス・ティーは最高です。

なくなって最も残念なのが日清のカレー・チキン・ラーメン。大好きでした。卵ときざんだキャベツを入れて食べるのが定番で、常に食料庫にキープしていました。少し遅れて生産中止を知ったときには、クルマで農村部にある小さな食料品店を回って買い集めました。その後、何度かカレー味のチキン・ラーメンは発売されましたが、いずれもカレー・パウダーをあとから入れるタイプで、味はカレー・カップ・ヌードル寄りで残念でした。期間限定でも良いので、是非、再発売して欲しい。

若いころから、僕が好きなものは必ず「ある日突然、廃版になる」というジンクスがあります。数え切れないほど、そういう目に合ってきました。いつの間にか、好きなものは大量に買ってストックするというクセが付きました。我が家には「納戸」があり、様々な食料品をストックしています。そのおかげで、阪神大震災のとき、食料だけには困りませんでした。

震災といえば、震災のとき、高級食肉店を経営していた友人が「電気も来ないし、どうせ冷蔵庫の肉もダメになってしまうから」と言って、最高級の霜降り神戸ビーフを大きな箱に一杯くれました。とはいえ、僕の家も電気は止まっていましたので翌日までおいておくことも出来ず、ご飯も炊けませんでしたので、その日は「肉だけのすき焼き」を気分が悪くなるほど食べました。カセット・コンロがありましたので、調理はできたのですよ。しかし、それ以来、僕は霜降りがニガテになりました。

阪神大震災で、僕はモノに対する執着がなくなりました。憑き物が落ちたというのでしょうか。それは周囲で多くの方が亡くなられたからだけではありません。学生時代から集めていたワイン・グラスやティー・カップはすべて割れました、残ったのはコカコーラでもらったコップとモロゾフのプリンが入っていたコップだけです。学生時代に米国で買ったギブソンのギターも、上にテレビが落ちてバラバラになりました。母が持っていた古い和食器もすべて割れました。残ったのは僕の娘のために買った茶道練習用のお茶碗だけでした。母が大好きだった某有名画家の油絵も真ん中から裂けてしまいました。

モノに対する執着がなくなったぶん、食べることに執着するようになった気がします。と言っても、高価な食事や、いわゆるグルメではありません。食べたいもの、自分の好きな味に拘るようになりました。それだけに、好きなものがなくなると悲しい。

何年か前に胃潰瘍で入院したとき、ベッドの上で、退院したら、どの順番で、何を食べるかという must-to-eat-list を作っていたら、娘に呆れられました。昨年は家内が「誕生日に何が食べたい?」って聞くものですから、何日も推考し、我が家の財政状況も勘案し、前菜からデザートまで、選びに選んだ「食べたいもの」をメールで送信したら、もっと簡単なものにして、って言われました。

来週、娘が孫を連れて泊まりにくるそうです。そのとき僕の「お誕生日しようね」って言ってくれましたが、家内も娘も「何が食べたい?」とは聞いてくれません。